源実朝 - Wikipedia: "建保7年(1219年)1月27日、雪が二尺ほど積もる八幡宮拝賀の日を迎える。御所を発し八幡宮の楼門に至ると、北条義時は体調の不良を訴え、太刀持ちを源仲章に譲る。夜になり神拝を終え退出の最中、「親の敵はかく討つ」と叫ぶ公暁に襲われ落命した。享年28(満26歳没)。公暁は次に源仲章を切り殺す。太刀持ちであった義時と誤ったともいわれる。実朝の首は持ち去られ、公暁は食事の間も手放さなかったという。同日、公暁は討手に誅された。"
殺伐とした血みどろの時代。公暁にしても父親(頼家)を、ああまでむごたらしく殺されては復讐するしかなかったのだろう:
伝説を読む: "僧慈円の「愚管抄」では、(賴家は)「トミニエトリツメザリケレバ 頸ニヲ(緒)ヲツケ フグリヲ取リナドシテ コロシケリト聞コエキ」と書かれています。"
フグリとはキンタマのこと。こういう殺し方は、野蛮な中国やパレスチナやアッシリアの歴史にも書かれていない。鎌倉武士は勇猛果敢且つ獰猛。
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